税務調査で「メールを全件提出」と言われたら?不当な要求を断る法交渉術

皆さんこんにちは。クラウド会計で経営支援を提供する千葉の税理士、中川祐輔です。
毎週月曜日に、経営者なら知っておきたい「税務調査」についての知識を解説しています。
中小企業経営者の皆様、税務調査への備えは万全でしょうか。
税理士として数多くの税務調査の現場に立ち会っていると、調査官からの予想外の要求に戸惑い、言われるがままに不利な状況を作ってしまう経営者の方を多く目にします。
近年、ビジネスのやり取りがメールやチャット中心になったことで、税務調査においても「電子データの確認」が重要なテーマとなっています。
今回は、実際にあった「メールの全データを提出せよ」という調査官からの要求について、その適法性と、経営者としてどのように対応すべきか、具体的な事例をもとに解説します。
1. 実際にあった「メール一括ダウンロード」の要求事例
まずは、実際に相談を受けた具体的な事例をご紹介します。
これは、ある不動産売買会社に対する税務調査での出来事です。
この事案は、通常の管轄税務署ではなく、比較的規模の大きな法人や特殊な事案を扱う「特官部門(特別国税調査官)」による調査でした。
調査官が目をつけたポイント
調査官が疑義を持ったのは、「売上の計上時期」です。
不動産売買において、期末付近の取引などで売上の計上時期を故意に翌期にズラし、当期の利益(所得)を不当に圧縮しているのではないか、という疑いをかけられました。
調査官からの具体的な要求
そこで調査官は、会社側に対して以下の要求を突きつけました。
- 営業担当者の全メール:売却先とのやり取りを確認するため
- 経理担当者の全メール:売上時期の操作指示がないか確認するため
- 提出方法:すべてのメールを一括ダウンロードし、データとして提出すること
「疑いを晴らすために、すべてのメールを見せなさい」という、非常に強烈なプレッシャーをかけてきたのです。
2. 「守秘義務(NDA)」は断る理由になるか?
この事例において、当初会社側は「取引先との守秘義務契約(NDA)があるため、メールの開示はできない」として断ろうとしました。
経営者としては、顧客との信頼関係を守るための正当な主張に思えます。
しかし、結論から申し上げますと、この「守秘義務」を理由にした拒否は、税務調査においては通用しにくいのが現実です。
税務調査官には強力な「質問検査権」が与えられており、個別の取引内容を確認する正当な権限がある場合、民間同士の契約である守秘義務契約よりも、税務調査の権限(公法上の要請)が優先されると考えられています。
したがって、「契約書があるから見せません」という一点張りでは、調査を拒否しているとみなされ、心証を悪くするだけでなく、罰則の対象になるリスクすらあります。
では、調査官の言う通り、すべてのメールを差し出さなければならないのでしょうか?
3. 「全メール提出」は調査権限の逸脱である
ここで重要になるのが、「税務調査の範囲」と「法的根拠」です。
コンサルタントの視点から断言しますと、「とりあえず全部のメールを出せ」という要求に従う必要はありません。
なぜなら、税務調査はあくまで「特定の取引」に関する事実確認を行う場であり、警察による「犯罪捜査」とは根本的に異なるからです。
法律による歯止め(国税通則法第74条の8)
国税通則法には、調査官の権限について以下のように明確な規定があります。
国税通則法第74条の8(権限の解釈)
当該職員の質問検査権等の規定による当該職員の権限は、犯罪捜査のために認められたものと解してはならない。
つまり、具体的な嫌疑もないのに「全部のメールを見れば、何かホコリ(不正)が出るだろう」という、いわゆる「探索的な調査」は認められていないのです。
今回の事例のように「全メールを一括で出せ」という要求は、特定の取引を確認する範囲を超え、会社の業務全体を洗いざらい探索しようとする行為であり、税務調査の適正な範囲を逸脱していると判断できます。
4. 現場で使える「具体的な断り方」のスクリプト
では、現場で調査官に対してどのように反論すればよいのでしょうか。
感情的に対立するのではなく、理路整然と、かつ協力的な姿勢を見せつつ断るのがポイントです。
以下のようなロジックで対応することをお勧めします。
Step 1:包括的な要求を拒否する
まずは、「全メール」という包括的な要求には応じられない旨を伝えます。
「全社員、あるいは特定社員のすべてのメールを一括で提出することは、プライバシーの問題や調査に関係のない機密情報も含まれるため、応じかねます。」
Step 2:取引の特定を求める(ここが重要)
次に、調査官にボールを投げ返します。
これが「協力拒否」ではなく「正当な主張」とするためのカギです。
「調査に必要な特定の取引や、確認したい事項を具体的に指定してください。」
Step 3:限定的な開示を提案する
最後に、指定された範囲内での協力は惜しまない姿勢を示します。
「ご指定いただいた取引に関するメールについては、こちらで該当するものを検索・抽出し、提示させていただきます。」
このように主張することで、調査の主導権を握りつつ、不当な探索的調査をブロックすることが可能です。
「見せない」のではなく「必要なものは見せるが、不要なものまで見せる義務はない」という線引きを明確にすることが、経営者の務めです。
5. 「データでの提出」に応じる義務はあるか?
もう一つの論点が、「データをダウンロードして提出しろ」という要求です。
昨今は電子帳簿保存法の改正などにより状況は変化しつつありますが、原則として税務調査において「電子データのコピー提出(持ち帰り)」に応じる法的義務はありません。
調査官には「帳簿書類や物件を検査する権限」はありますが、それはあくまで「提示されたものをその場で見る」あるいは「紙のコピーを受け取る」ことであり、生データをUSBメモリ等に入れて持ち帰らせる義務までは課されていないのです。
特にメールデータのような膨大な個人情報・機密情報を含むデータをそのまま渡してしまうことは、情報漏洩のリスク管理の観点からも避けるべきです。
「画面上で確認していただくか、必要なメールをプリントアウトしてお渡しします」という対応で、法的には全く問題ありません。
※ただし、電子帳簿保存法の要件に則って保存されている国税関係帳簿書類のデータについては、この限りではない場合があります。
6. まとめ:知識が会社を守る盾になる
税務調査官は、あの手この手で情報を引き出そうとします。
彼らも仕事ですから、少しでも多くの課税材料を見つけようと必死です。
しかし、その熱意が行き過ぎて、法的権限を超えた要求をしてくるケースは決して珍しくありません。
- 守秘義務だけでは調査を拒めないが、範囲外の調査は拒める。
- 「とりあえず全部」という探索的な調査は違法性がある。
- 「取引を特定してくれれば、該当部分は出す」という交渉が正解。
- 生データを渡す義務は基本的にない。
これらの知識を持っているかどうかで、調査の結果、ひいては追徴税額に大きな差が出る可能性があります。
税務調査は「言われるがまま」になる場ではありません。
法的なルールに基づいた「対等なコミュニケーション」の場です。
理不尽な要求には毅然とした態度で対応し、自社と社員を守ることも経営者の重要な仕事です。
ご自身の会社で同様のケースが懸念される場合や、現在進行形で調査への対応に悩まれている場合は、税務調査に精通した専門家へ相談することをお勧めいたします。
